1927年:在米ユダヤ人のデビッド・ゴットリーブ(David.Gottlieb 1900年 - 1974年4月16日)が、後にピンボールの主要製造地となるシカゴで、家族企業によるデビッド・ゴットリーブ社を創業。握力測定機械などのアーケードゲームを製造する。
1921年:レイモンド・モロニー(Raymond.Molony 1900年 - 1958年2月)仲間と共にライオン・マニュファクチュアリング社を創業。
1931年12月:ゴットリーブがビンゴノベリティ社の「ビンゴ」(プレゼント大会で使われている現代のビンゴゲームとは別物で、日本のスマートボールに近い)に注目、権利を買って改良、「バッフルボール」として売り出し、ヒットとなる。ピンボールとしてある程度整った最初の存在となる。
1932年1月:ゴットリーブと販売取引をしていた業者の一人であるモロニーが、生産が追いつかないピンボールを自社でも作ろうと決意、風刺雑誌から名前をとって「バリーフー」と命名、ライオン社の製造部門のバリー(Bally)・マニュファクチュアリング社から発売。
1932年1月:ゲンズバーグ四兄弟の末弟のみは兄と一緒にならず、シカゴコイン社(Chicago Coins)を創業。
1933年2月:バリー社「エアーウェイ」で、ボールの重みを使った自動得点集計機構を初採用。
1933年:ロサンゼルスのパシフィック・アミューズメント社の技術者だったハリー・ウィリアムス(Harry.Williams 1909年 - 1983年9月)が、電磁石などを使ったエレメカ技術を「コンタクト」に採用。以後ウィリアムスは新技術導入に全力を注ぎ、1936年にシカゴに転居。各メーカーに技術を提供し、後年「ピンボール界のトーマス・エジソン」と呼ばれる様になる。同年、スロットマシンの人気に伴い、バリーのピンボール「ロケット」が賭け機能を搭載。
1934年:ウィリアムスがティルト機能を発明、バリー「シグナル」に初採用。
1936年:この頃までに四脚、バックガラス、エレメカ技術など、フリッパー以外の基本的機構が出揃う。しかしバリーはスロットマシンの製造を開始。以後バリーはギャンブル徹底拒否のゴットリーブと逆に、かなりギャンブル・マシンに傾倒したメーカーとなる。その結果シカゴでピンボールがギャンブルとして禁止、その他の大都市でも禁止となる。これにより多くのメーカーがピンボールから撤退した。
1941年:太平洋戦争勃発、各メーカーも軍需産業に協力する。
1943年:ウィリアムス、ウィリアムス・マニュファクチュアリング社を創業。
1945年:終戦により、ゴットリーブを皮切りに各メーカーがピンボール事業に復活。
1947年10月:ゴットリーブ「ハンプディ・ダンプティ」に、ハリー・マブスの考案したフリッパーを初採用。フリッパーを使ったボールの打ち返しにより、プレイヤーの腕前に左右される長時間のプレイが可能になる。フリッパーは当初上・中・下段等についていた。
1948年:ゲンコ社「トリプル・アクション」で初めて、下段だけにフリッパーが付く。その後は原則として下のみとなった。
1960年:ミッドウェイ社(Midway)、フリッパーに参入。
1960年11月:再ゲーム機能がギャンブルとして禁止になったため、エキストラ機能がゴットリーブ「フリッパー」に初装備。これは設定変更可能だった。
1963年:バリー社、フリッパーに再参入。また太東貿易(後のタイトー)、ゴットリーブを皮切りにピンボールの輸入を開始。
1964年:ウィリアムス、ジュークボックスで有名なシーバーグ社に買収される。
1969年9月:バリー、ミッドウェイを買収。バリー・ミッドウェイ(Bally-Midway)となる。
1970年:フリッパーの大手メーカーはゴットリーブ、ウィリアムス、バリー、ミッドウェイ、シカゴコインの5社でほぼ確立。
1971年6月:セガ、国内産初のフリッパー「ウィナー」を発売。
1972年:ロサンゼルスでフリッパーの規制条例が廃止、シカゴでも1977年1月に廃止。ピンボールが解禁となるが、一部の州ではいまだにリプレイが規制されている。-->
1977年1月:ウィリアムスの社長を退いたサミュエル(サム)・スターン(Samuel.Stern)がシカゴ・ダイナミックス社の資産を購入し、スターン・エレクトロニクス社を創業。
1977年10月:ゴットリーブ、フリッパー「クレオパトラ」で電子技術を初採用
1978年4月?1980年5月:WMSインダストリーズがウィリアムスの親会社となる。
1979年12月:ウィリアムス、フリッパー「ゴーガー」で音声合成を初採用。
1982年12月:バリーブランドのフリッパー部門が、バリー社からバリー・ミッドウェイ社に移管。
アーケード衰退期から現代まで
1982年?1984年:ビデオゲームの新分野であるレーザーディスクゲームが登場したが、すぐ消滅。マイルスター、ミッドウェイ、スターン、アタリ等がダメージを受ける。
1984年11月:サム・スターンが死去。
1985年2月:スターン・エレクトロニクス社が業績不振のため破産。
1987年4月:バリー、買収し続けて来た子会社のリストラを開始。1988年7月にバリーブランドのフリッパー、ミッドウェイブランドのビデオゲーム等をWMSに売却。バリー・ミッドウェイ社はミッドウェイ・マニュファクチュアリング社の名に戻る。
1992年1月:WMS、バリーブランドフリッパー「アダムス・ファミリー」を発売、2万台という久しぶりのヒット作となる。また、ビデオゲームはミッドウェイブランドのみとなる。
1991年11月?1995年10月:バリー、ギャンブル機製造部門も複雑な統廃合を図る。WMSの売却を検討。
1995年10月:アライアンス・ゲーミング社がWMSを買い取る。アライアンスのギャンブル機で使われている「バリー」が、現存する唯一のバリーブランドとなった。
1996年3月:タイムワーナー・インラクティブ社(TWI)が親会社のタイムワーナーから切り離されて身売りされ、WMSが買収。社名をTWIからアタリゲームズに戻す。
1996年6月:バリー、最後に残ったカジノホテル事業がヒルトンホテルに買収される。
1996年10月:WMSからミッドウェイゲームズが分離、アタリゲームズもミッドウェイゲームズの一部門となる。WMSのアーケードゲームはフリッパーの下請け製造とギャンブル機のみが残る。
1999年3月:WMS、起死回生策としてテレビ画面を組み合わせた「ピンボール2000」シリーズを計画、バリーブランドフリッパー「リベンジ・フロム・マーズ」を発売。続けてウィリアムスフリッパー「スター・ウォーズ エピソードI」を発売したが、これでもピンボール販売不振の状況を変えるには至らず、WMSは10月にバリーとウィリアムス両ブランドのフリッパー生産を中止した。
2000年2月:ミッドウェイゲームズ、アタリゲームズをミッドウェイ・ウェストと改名し、アタリブランド使用停止。だがこれがアーケード離れに加速をかけた。
2001年3月:ミッドウェイゲームズ全体がアーケードから撤退。
独立性の高いピンボール社史
上記年表が複雑化したので、単独で栄枯盛衰をたどった会社の歴史を、以下にまとめた。
アタリ
前述通りWMSとの絡みもあるが、ピンボール発売時代は独立性が強いのでこちらにまとめる。創業者のノーラン・ブッシュネルは創業直後から、従来より幅の広い「ワイドフリッパー」を提案、前述のウィリアムスやバリーに話していたが、結局「ポン」となった。その後1976年11月にワイドフリッパー(ボールも通常の鋼球ではなく、はるかに大きな硬質ゴムのボール)で参入。一作目の「アタリタン」は、アタリを本拠地に活躍するアメコミヒーローがモチーフだった。ワイドフリッパーの一部はナムコ(現:バンダイナムコゲームズ)経由で日本でも販売されたが、大手メーカーには追いつかず、1979年4月の7作目「ヘラクレス」で撤退した。日本ではかつてナムコ系の直営店の一部や東京タワー内のゲームセンターにあった。
ナーゼ リズム チェリ ゲバラ 津田かぶ ハニカム ロジック ニーネ フィギ メートル ドニヒリズム チェーサー はこべ ジレン ジェミニ 次郎柿 ブリク テクノロ きない ニップレス ケイン そらの木 ギリソウ カレッ ヤルタ ミムルス 希望の橋 イメクラダ ブック ナチス ラーメ 幸福 ローボール かっさい シュリン オステ けたあみ バシリ ノニオ スイレ かめだ 西条柿 テント 小指 サイトミニ ばれいし デジパー ドライ マグネット バロメ
データイースト→セガ・ピンボール→スターン・ピンボール
こちらの詳細は「データイースト」参照。ドットマトリックス・ディスプレイはこのメーカーが初採用である。スターン・ピンボールが唯一現存するピンボールメーカーとされる。なお、前述したが日本のセガもピンボールを日本国内で製造していたことがあり、札幌オリンピックをモチーフにした「サッポロ」が有名だが、セガ・ピンボールとは異なる会社である。
ゴットリーブ→マイルスター→プリミア
1980年12月:日本のビデオゲームのライセンス生産でビデオゲームに参入。
1982年1月:親会社のコロムビア映画がコカ・コーラに買収される。
1982年11月:ビデオゲーム「Qバート」を発売。ビデオゲーム史に残るヒット作となる。
1983年7月:マイルスター社と改名。
1984年9月:「Qバート」以外のビデオゲームが全く売れず、レーザーディスクゲームの失敗も拍車をかけて、コロムビアが廃業手続きを開始。だがマイルスターの重役だったギルバート・ポーラックが10月にプリミア・テクノロジー社を創業、ゴットリーブブランドのフリッパーは引き継ぐ。
1993年2月:フリッパー「ストリートファイターII」を発売。
1996年4月:最後のフリッパー「バーブワイアー」を発売。8月工場閉鎖、ゴットリーブブランドは消滅した。
カプコン・コインアップ
カプコンが1994年にアメリカに作った子会社で、1995年5月にカプコンブランドでフリッパーに参入、4作を発売。しかし既にこの時代ゆえ余り売れず、1996年12月に撤退した。
コンピュータゲーム
前述の「ポン」がピンボールの一種であると考えられたこともあり、ピンボールをコンピュータ上で実現しようとする試みは、コンピュータゲームの歴史の重要な一面を形成している。
近年コンピュータ性能の向上に伴い、実機の感触に近づいたようなピンボールゲームが多数出現した。日本のソフトウェアメーカーでピンボールを作っているところとしては、主に米国PCゲーム界で評判の高かったリトルウイング社や、セガサターンなどでのピンボールゲームでブレイクしたカゼ・ネット社などがある。
しかし、プレイした人が一番多いコンピュータピンボールはMicrosoft Windowsに付属している「3D Pinball 'Space Cadet'」(もとはマクシス社が製作したFull Tilt! Pinball(英語版ウィキペディア)の一部)ということになるであろう。グラフィック自体は現在の基準に比べるとリアルとはいえないものの、ほぼ標準でインストールされるため、パソコン売り場で子供がプレイしている光景が良く見られた。実はこのゲームのヘルプファイルは、ピンボールの基本とこのピンボール台に存在する一通りの要素を解説しており、意外と奥は深い。
ピンボールアクション(アーケード/テーカン)
ビルバッジ・ピンボールコンストラクションセット
ムーンボール(PC-9801シリーズ)
クリスタルカリバーン、他(リトルウイングを参照)
ピンボール (任天堂)(FC/任天堂)
エイリアンクラッシュ(PCE/ナグザット)
デビルクラッシュ(PCE/ナグザット)
邪鬼破壊(SFC/ナグザット)
タイムクルーズII(PCE/フェイス)
ザ・ピンボール・オブ・ザ・デッド(GBA/セガワウ)
スーパーマリオボール(GBA/任天堂)
Windows 3D ピンボール
カービィのピンボール(GB/任天堂)
ギャラクティックピンボール(VB/任天堂)
ポケモンピンボール(GBC/任天堂)
ポケモンピンボール ルビー&サファイア(GBA/任天堂)
バトルピンボール(コンパチヒーローシリーズ)
スーパーロボットピンボール
Pinball Arcade(マイクロソフト)
3Dウルトラピンボール、同シリーズ2「ゴブリンの逆襲」、同シリーズ3「失われた大陸」、同シリーズ「スリルライド」
アドベンチャーピンボール 失われた孤島
大玉(GC/任天堂)
アキラサイコボール(PS2/バンダイ)
フリップニック(PS2/SCE)
メトロイドプライム ピンボール(DS/任天堂)
シナモンボール くるくるスイーツパラダイス(DS/ロケットカンパニー)
登場する作品
トミー(映画) エルトン・ジョンがピンボールの魔術師役で出演、自らも楽曲「ピンボールの魔術師」 (原題 Pinball Wizard)を歌っている。(1976年)
プリティギャンブラー(映画、原題「TILT」、主演ブルック・シールズ、1979年)
評決(映画)
コップランド(映画)
1973年のピンボール(小説)
ピンボール・マシン(小説、著者ウィリアム・ハリスン、1975年)
ザ・カンニング IQ=0(映画、1980年)過激なまでに筐体を叩いて、ボールを操作しているシーンを見られる。
ロッキー3(映画 1982年)ロッキーをモチーフにしたピンボール筐体の前で、ロッキー自身がトレーニング(?)しているシーンがある。
FLIP-FLAP(漫画、作者とよ田みのる)ピンボールを主題とした作品。
ハーツ&マインズ(漫画、作者いましろたかし)「中野の友人」に登場。